スキンケア素材を探す旅-赤穂Vol.1-

旅は嫌いではないのですが、

自分で行きたい場所を探して

計画を立てて出かけるタイプではないのです。

 

人に誘ってもらったり、

何か用事があれば

よろこんで出かけるのですけれどね。

 

自ら調べてまで計画しない無精モノなので

恥ずかしいことに

兵庫県の海沿いの町だということを

知ったのも偶然からなんです。

 

赤穂という地名は聞いたことがあって、

赤穂浪士とか塩の町だということくらいの知識でした。

2日連続で赤穂出身のお二人の経営者と偶然にお話しすることがあり、

お二方ともに赤穂の魅力を語ってくださったので、

私がそのお二人をおつなぎするために

赤穂で会いましょうということになったのがきっかけでした。

 

大阪から電車で約2時間

姫路を経由して

あっという間に赤穂に到着

 

まずは大阪、長堀橋から赤穂に移転されたインド料理店ショーリアさんへ

お店の前のスペースでミントやバジルなどのハーブを栽培さえています。

このハーブたちは、インド人シェフの手によって

ヘルシーなお料理になるのだそうです。

 

ハーブやスパイスのインド風の使い方を教わるのも楽しい時間です。

広々としたスペースが気持ちよく、冷たいラッシーが心地よく長居したいところですが、

せっかくなので、赤穂の町を案内していただくことに。

まずは、昭和がぎっしりつまった、赤穂玩具博物館へ。

ワクワクしてしまうエントランスから

建物の中に入ると

時間も空間も超えるような異空間が広がって

懐かしさと驚きの連続と

館長さんの楽しいお話しで時間を忘れてしまうほど。

あっという間に時間が過ぎて、

泊めていただくことになっている

赤穂段通の工房へ急ぎます。

穏やかな夕暮れ時に

海辺の町に来たんだなと感じます。

 

赤穂も他の町と同じように

過疎化が進んでいて

人が少なくなっているとのことで、

アーティストなどが活動しやすい拠点をつくる

取り組みをされているそうです。

 

赤穂緞通は、昭和になって

 

究極の手作業 赤穂緞通は、

手織りの絨毯で

日本の三大緞通のひとつなんだそうです。

 

日本で緞通が作られていたこと知らなかったので、驚くと同時に

この技術を守り伝えようと活動されている方もいらっしゃることを今回初めて知ることになりました。

 

赤穂出身の一人の女性が緞通に出会い、その魅力に魅せられて、その作り方を考案されたのが江戸時代末期。

26年もの年月をかけて、緞通の技術を独自で研究され、明治になって、赤穂段通を完成させたそうです。

 

その後、赤穂段通は、大きく発展し、大正から昭和にかけては、海外にも輸出されていたのだそうです。

しかし、原料である綿花の輸入が 制限されるようになり、衰退していたのだそうです。

戦後は、復活の兆しもみられましたが、

手間と技術が必要な作業は、技術の近代化によって、廃れていったようです。

 

その貴重な赤穂緞通を守り伝える方のアトリエにお邪魔できるということだだけでも感激です。

赤穂段通工房ひぐらしという名前で活動されている橋羽さんのお話しを

おうかがいしながら、濃厚な時間を過ごすことができました。

美しい赤穂段通に囲まれて過ごす、贅沢な時間を堪能し、夏の夜はふけていきました。

 

明日はまた新たな赤穂の魅力をみせていただけるということで、とても楽しみです。